道具だっけ?

ふと、唐突に思い出した。

昔、「みんな『コンピュータは道具だ』って言うけど、単なる道具だとは思ってない人種もいるんだ」というようなことをどこかに書いた覚えがある。たしか、Windows95が世に出るよりも前のことだと思う。

そんなことを書いた自分にとっても、いまや「単なる道具」になりかかっている気がするが、はたしてこれでよかったのかどうか。うむー。

「道具」でなければ何だったのかというと、ちょっと難しい。これもまた昔の話だが、「友達」とか「相棒」という表現は巷にあったような。まぁ、「道具」よりは近いかもしれない。

「コンピュータが友達なんて」というのは了見が狭い。誰も、人間の友達がいないなんて言っていない。むしろ「人間としか友達になれない」というほうが、心が狭いとも言えるだろう。

「なんでも言うことを聞いてくれるコンピュータは、いかにもオタク向けだ」というのも違う。オタク向けなのはそうかもしれないが、「なんでも言うことを聞いてくれる」が違う。そんなのは、コンピュータに何かをさせたことのない、部外者の発言だ。コンピュータは確かに「命令したとおり」には動いてくれるが、「思ったとおりのことをさせるように命令する」のがえらく大変なのだ。

まず、コンピュータの仕様や自分の力量などからくる制約のため、思ったことをどこまで実現できるか、そしてどういう風に命令していくか、を考えるのが一苦労だ。さらに、実際のプログラムコードに落とし込む段階で多くの場合バグを混入させてしまうので、それを取るのも大変だ。(稀にはコンパイラやOSのほうにバグがあることもあるし)

そんなこんなで、コンピュータに言うことを聞かせるのはえらく大変なことだ。「なんでも言うことを聞いてくれる」なんて幻想だ。でも、だからこそ愛着が湧いたのかもしれない。

「湧いた」と過去形なのは、最近のコンピュータには愛着が湧くことが少なくなったから。コンピュータが変わったのか、自分が変わってしまったのか。


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